なるほど 雑談:ダンシャリが嫌いだという話の続き

先日、本来の意味での「断捨離」はともかくとして、巷で皆がやってる「ダンシャリ」ってどーなのよ、という話を書きました。その続きでどうということもない話なんですけど。 

noa-s.hatenablog.jp

 

 私、分かっちゃった!

ええとね、ネットなど見るに、意外に「断捨離」の定義が理解されてないっぽいですね。

 

「断」は「家に入ってくる要らないモノを断つ」の「断」なわけですが(つまりはゼロ・ウェイストのリフューズですわな)、人によっては「断行」とか「決断」とか「断固として」とかの「断」でイメージしてるみたい。

 

なので、「困難や反対を押し切り、強い態度で決然とモノの処分を敢行すること」というニュアンスで、ダンシャリダンシャリ言ってモノを捨てているようなんですわ。

 

その他に、「使っていないものを不要であると断じる」という意味で理解されている方も見かけました。

 

つまりそれって、モノの流入については意識的に止めようとしていないということで。これではなかなか「離(モノへの執着から離れる)」へは辿り着けないのではなかろーかと。

常々断捨離ブログなど拝見するに、何年経っても延々お方づけをしているお宅も少なくなく、「元々物が多いにしても、こんなに何年も片付けないといけないなんて一体何故?」と不思議に思っていたのですが、たぶんそういうことなんだろうと得心がいきました。

なので「断捨離」にはちょっと気の毒だなと思います。

 

個人的には、断捨離ってきっと皆が言ってる「ダンシャリ」よりももっと高邁な哲学とか深い意味とかあるんだよね、と期待して本を読んでみたのですが、説明が「ヨガの断行・捨行・離行の頭文字を取りました、以上。」なので、何でヨガなのよー、体裁が巧く整う字面に適当にこじつけてるんじゃないのー?などと、考え方としては本当に悪くないのに、何か胡散臭さを感じてしまいます。これでなくてはならない、という座りの良さがイマイチ感じられないもので。

あとは「行動(断・捨)」と「状態(離)」が同レベルの並列に置かれているのが気持ち悪いです。……「断捨→離」表記なら受け入れられたかも(笑)。これで商標登録しようかしら、なんちゃって。