衣類の管理について 雑談:「ダンシャリ」が嫌いだという話

断捨離という表現が実はあまり好きではありません。「捨」しかしない人ほどダンシャリダンシャリ言っている印象があるので、ダンシャリという響きから何か安直さのようなものを感じてしまうせいです、たぶん。

とは言うものの、「今」の自分にフォーカスして「過去」と「未来」に囚われたモノの持ち方をやめる、という考え方自体はとても良いと思います。(一応教祖の方の本は一冊図書館で借りて読んでみたのですが、内容がふわっとしていて今ひとつよく分かっていない気がするので…それは断捨離の理解からは外れる、ということであれば是非教えてくださいませ。)

 

さて、良い考え方だとは思いますが、今だけにフォーカスしすぎると(そして世間一般で唱和されているダンシャリの様子からするに)、全体として見たときに深みに欠けることになるような気がしなくもなく…。

特に着る物についての話になりますが、私は、古い服を数年後に新しい服とうまく組み合わせて着ることができたときの方が、新しく手に入れた服だけで全体を構成したときよりも満足度が高く感じるクチです。その服の自分との歴史が「自分らしさ」に寄与してくれるように感じるからかもしれません。

 

なので、服に関しては、今着るものだけを残してそれ以外をばしばし処分してしまうと、数年後の着こなしが何か浅くならないかなと(こういう考え方こそが「未来」への囚われなんでしょうけど・笑)。そのようなわけで、今のライフスタイルや気分やモードからかけ離れていて、向こう数年着る機会はないであろう、という服であっても、すごく好きなものだったら、管理の負担にならない程度の量までなら良しとして、稼働中の服とは別にして保存しています。

 

↓使っていない布に包んで、ソファベッド下の収納に退避中

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この件はある程度は好みの問題だと思いますし、人ってとにかく飽きる動物なので、新しいものが必要になるというのも当然なんですけど、どんどん捨てて、どんどん入れて、ってやっていると永久にダンシャリし続けないといけなくて疲れないのかなーと思います(節目節目の持ち物の見直しはもちろん必要だと思いますが)。