包むことは悪か

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と、問われたら「場合による」と言うしかないとは思いますが。

ゼロ・ウェイスト界ではとかく憎悪の対象となりがちなpackagingであり、私も日々の買い物で泣かされている部分ではあります。

 

なんですが、上の写真。

先日ベア・ジョンソンの講演会でお目にかかったゼロ・ウェイスターさま方から頂戴したものです。もうね、見ての通り、めちゃめちゃ気を遣って下さってるわけですよ。カタログをリユースした紙を食品包装のシールで留めて下さってたりとか。布包みの方に至っては「ゼロ・ウェイスターの方にモノを上げてはいけないのかなとは思ったんですが…。とりあえず布なんで土には還りますのでっ!」と。そんなに気にしていただかなくても、土になんか還しませんよ、ありがたく使わせていただきます。

 

日本の文化において、人様に差し上げる物品を包むのは、相手への敬意を示すものであったり、中身について「あなた以外誰も触れていませんよ、あなたの為に用意したものですよ」という含意があると聞きました(ごめんなさい、恥ずかしながら詳しいことや正確なところは知らないです…)。贈り物を毎日洪水のようにやり取りするのでもなければ、こういうラッピングは私基準では全く問題なく嬉しく頂戴しちゃいます。

むしろ初対面なのにぽこ33さんに唐辛子を裸で渡した私はちょっと酷かったなと今更ながら。

 

まぁ一番良いのは、こちらの記事にもある通り、相手がどんなライフスタイルを送っていて、どんなものを必要としているのかを知らないうちは、むやみにモノは上げないというのが正しいんじゃないかと思います。

casse-pied.hatenablog.com

 

自分自身への諌めとしては、相手に時間を割いたり気持ちを丁寧に示したりすることを面倒がってモノで誤魔化さないように気をつけたいです。

 

ところで、どうしてもモノを上げないといけない場合でラッピングがないと寂しい感じになってしまうときにはどうしたものかなと考えていたんですが、何かちょっと華々しい風呂敷でも用意しておいてこれまた華々しく包み上げ、相手の目の前に置きつつ中身について薀蓄を垂れた挙句に、「ま、そんなわけでつまらないものですが…包みはご不要でしょうからこちらで回収させていただきますネ!」とか言って風呂敷を剥いで中身だけ渡すのでどうかな、と。あ、でも相手の方に運搬用の袋の準備がないとこの手は使えませんね。ああ、難しい。

 

さて、今回頂戴した中身は、お庭の月桂樹の木から摘んだローリエとお手製のボカシでした。何でもかんでも自分で調達しなくても、自分の家の得意分野を伸ばしてシェアすればいいんだな、と、とても気が楽になりました。

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