捨てまくるゼロ・ウェイスト・・・?
2017年6月15日
Zero Wasteというのは、埋立地もしくは焼却処理場に送り出すゴミを限りなくゼロにするべく創意工夫・努力することだと理解しています。
なので、家庭生活に関して言えば、
- まずは買い物などの際に自分にとって不要な物や使い捨ての物を持ち帰らないように注意を払い、
- 生活自体を小さくしておくことを心がけ(なぜなら持ち物が多いほど収納用品が必要になるように、物が物を呼ぶから)、
- 一度手に入れたものは何度も使い、不要になったものは他の用途に転用できないかを考え、手放すのであればなるべくそのまま使ってもらえる先を探し、
- それが無理ならば素材としてリサイクルに回し(リサイクルしてくれる先を探し)、
- それすらできないものは仕方なく、嫌々ながらゴミに出す(生物分解性のものはコンポストへ)、
という流れが基本になると思います。ゼロ・ウェイストを標榜するならば。
私は、自分で文章を書くよりは人の書いたものを読むほうが100倍好きなので、自分の生活に直接参考になるという意味で日本で生活するゼロ・ウェイスターの方のブログに飢えているようなところがあるのですが、ゼロ・ウェイストと言いつつ、「捨てました」という話が殆どだと正直ちょっと違和感をおぼえます。
捨てたイコール手放したという意味ならば、どのように手放したのか(○○へ寄付した、とか)を詳しく紹介してくれればいいのになー、と思います(私にとって「捨てた」は⑤なので、一番ブログに書きたくない言葉です。書いてるけど)。
もし文字通りただ「捨て」ているならば、ゼロ・ウェイストが誤解されているんじゃないかとちょっと心配になったりもします。
確かに、買取先・寄付先などを探すのは大変ですし、その間もう要らないと思ったものを手元に置いておかなければいけないのは嬉しいことではないと思います。私も今、これから売るつもりの服と本のダンボールが床に置いてあり、邪魔くさいなー、買取の申し込み手続きめんどくさいなーなどとと思っているので、ゴミ袋に入れてゴミの日に出してさっさとすっきりしてしまいたいというのはすごくよく分かる。でも、そこはゼロ・ウェイスターなわけで。
ゼロ・ウェイスターなら絶対ゴミ出すな、なんて暴論を吐くつもりはないんですが、家から出すものの行き先に一旦は思いを馳せ、あらゆる手を尽くしてゴミ処理場送りにしないようにすることがゼロ・ウェイスターをゼロ・ウェイスターたらしめる要素なのではないかと思っています。
私自身は家から物を出すのに数ヶ月を要したりすることもざらなので、爽やかに「捨てました!」だけの記事を読むと、「あれ?ゼロ・ウェイスト・・・なんだよね??」と何かこう、不安な気持ちに・・・。
他方で、先日、お気に入りのブロガーさんは(ゼロ・ウェイストの方とは知らずに読んでいたのですが)、お片づけについて書きつつ「自分はゼロウェイスターなのでゴミを出すのは不本意」と明確に言及されており、こちらには心の底から共感した次第です。
・・・・・・ちょっと「べき人間」っぽくなりました。
(べき人間:「~すべき」「~して当たり前」と思い込むタイプのことを指す。「こうした方が気持ちが良い」「私はこうしたい」という基準で行動していれば人の言動に腹は立たないはずだが、自分が何かを我慢しており、無理に「~しなくちゃ」と思い込んでいるため、人の行動にイラっとする、らしい。気をつけねば・・・)
まぁ、「捨てる」ゼロ・ウェイスターさんも、あらゆる手を尽くした結果として燃えるごみに出すことになっただけで、引き取り先を一度は探すなんて当たり前すぎてわざわざ書かなかっただけかもしれません。
とにかく言いたいことは、自分のところ以外のゼロ・ウェイスト関連ブログを切実なまでに欲して楽しみにしている、ということです。みんなもっと書いて!微に入り細に入り!!