読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

動機は必要

2017年4月5日

 

かつて病状思わしくなかった頃、私は完璧な所謂ingredient Naziでした。日本語にするなら、原材料憲兵?そんな感じ。

台所に存在しない原材料名がある食品を許容することができず、当時は自分で豆乳絞ったりしていました(ま、作業自体をしてくれるのは豆乳メーカーなわけですが)。

 

あの頃は野菜も有機野菜じゃないとだめだったから、スーパーで買えるものなんて本当にほとんどなかった。

(といっても、当時気にしていたのは農薬や添加物だけだったので、お金に糸目さえつけなければ自然食品店で選びたい放題でしたが…。)

 

ゼロ・ウェイストやプラスチック・フリーを考慮するようになった今とあの頃、状況が少し似ています。

生活の場で、物は溢れるほどそこに在るのに、自分の需要に適合するものが存在しない。

 

ダイエタリー・ヴィーガンで(動物愛護はいまだにどう線引きしたらいいのか分からなくて、どうしても「ダイエタリー」が付いてしまう)、且つ原材料憲兵だった私は、

日々豆乳を絞り、パンを焼き、無農薬の米と野菜を求めて隣町まで足を延ばし…と、食べることに多大な労力を費やしていました。

大変だなとは思っていましたが、ほぼ完璧に遂行していました。(で、病気も概ね治りました。)

 

10年前厳格にできていたことが今できないのは、一人暮らしじゃなくなったからとか、労働に拘束される時間が増えてしまったから、とか生活の変化によるところも大きいのでしょうが(後は、問題の本質が若干違う、というところも)、

やはり私自身の必死さが足りないのかもしれないなぁ、などと思います。

 

あのときは、ちゃんとしたものを食べないと今ここに現にある苦痛が消えない、という差し迫った動機がありました。

 

翻って現在、ゴミが減ったらいいなぁとかプラスチック製品があると部屋の品位が下がっていやだなぁ、程度のうすらぼんやりしたモチベーションだと、忙しさや空腹にどうしても負けるのよね…。

 

逆に、自分にとって具体的・直接的なメリットがあれば私は動くらしい、ということは少なくとも分かりました。

なので、まずはそこから変えていこうと思います。具体的な話は次回に。