秋冬コンポスト3ヶ月経過

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11月から始めたコンポストが3ヶ月経過しました。

 

累計投入量約8.6kg、この1ヶ月の平均温度は約18℃でした。

1月後半から気温がぐっと下がり、室温も10℃~13℃程度になってしまっているので、見た目的にもかなりやる気なさげな雰囲気が漂っています。

前月と比べて、タマネギの皮とアボカドの種が目立ちます(アボカドの種は最近小さく切るのが億劫でそのまま入れてしまっているので余計に…)。

調子が今ひとつのときにタマネギの皮だらけになるのは春夏コンポストでも同様だったので私自身は特に気にしていませんが、同居人は遠慮してこっそりタマネギの皮だけ燃えるゴミに混入させているようです(ゴミ出しは同居人に任せているので実際のところは不明)。

 

温度の問題に関しては、このダンボーコンポストの販売元が設定している使用期間目安の3ヶ月を経過したので、米ぬかを解禁したのですが、追加後も20℃程度に留まっています。

 

SNSダンボーコンポスト部で、「外気温0℃、コンポスト10℃。全然できてる気がしないし、このまま生ゴミを入れ続けていいのか心配」という書き込みがあったのですが、それに対して管理者であるコンポストアドバイザーの方が「大丈夫だと思いますよ。もう少しして気温が上がればまた動き出しますよ~」とお返事されてました。こんな感じで、どーんと構えていればたぶん大丈夫なのではないかなと、気楽に考えています。

 

モノ買わず、一日一手放し 、の例外

今年は不買チャレンジ(というか、正確には「質量を持った物品を新たに家に入れない」チャレンジ)やるよー、とブログでついに公言してしまいました。 

noa-s.hatenablog.jp

 とはいうものの、取り立てて悲壮な覚悟で挑んでいるわけではなく、最初からたくさん例外を設定してあります。

当然食料品は買わなければなりませんし、トイレットペーパーや石鹸、歯ブラシなどの衛生関連用品も例外です。仕事上必要とされるものも(そういう事態になるかどうかは今のところ分かりませんが)買わざるをえないでしょう。例えば、会社から取るように指示された資格の教科書、とか。異動で今より改まった格好をしなければならないチームに配属になったのでスーツを買い足す、とか。

それ以外にも、去年の段階で買わなければならないことは分かっていて、ただ買いに行く時間が取れずに買っていないものや(具体的には、アイロンとお風呂場用の靴)、毎年決まった時期に買い替えているもの(圧力鍋のゴムパッキン)は例外とするつもりです。また、家庭の設備として必要なものについて同居人から何か購入の希望があった場合には(たぶん何も出てこないとは思うけど)、即却下にはせず、必要とあらば購入すると思います。あとは、人へのプレゼントなんかも(する機会があれば)買うことになるでしょう。

あ、それから新聞と定期購読の雑誌もありました。これらも例外です。生きる指針を決定していくのに必要な情報源ですし、そもそも家に長く居座り続けるモノたちではないので。さらに新聞雑誌で思い出しましたが、本やCDでダウンロードで入手できるものは普通に買うと思います。

と、これだけ多くの例外がございますので、不買チャレンジといってもそう大したものではありません。修行がしたいわけではなくて、本当に必要でもないモノをふらふらと買い、ただでさえ狭い部屋を暮しにくくしてしまったり、持たなくてもいいものの管理で時間を失ったりするのが嫌なだけなので、まぁ、こんなところで十分かな、と。

そして、一ヶ月が過ぎましたが、今のところ特になんの痛痒も感じていません。

実際のところ、40代ともなれば生活に必要なものはひととおり揃っていますし、子供もいませんし、物を新たに迎え入れる必要が生じることはそれほど無いように思います。壊れたわけでもないモノの買い替えは、ある意味過去の選択の失敗の証拠みたいなものですから(全てがそうとは言いませんが)、この年齢になってそういう買い替えばかりするというのは、そろそろ知性が問われるようにも思います。

「一日一手放し」の方について、これはきっちり文字通りにできるともやろうとも思っていなくて。もう自分に必要がないと思っていても、実際に家から出すアクションが取れないがために溜まっているものを、少なくとも一日一個くらいは外に出すよう心がけようよ、という単なる掛け声的な何かです(笑)。無理やり何か探し出して一日一個捨てる、とかそういうことをしたいわけではありません。今のところ、何もできなかった日もありますが、洋服ポストとワールドギフトで年初から数えて70個強くらいは外に出せているので、一応クリア、ということになっています。

 

モノ買わず、一日一手放し

だいぶ前の話なんですが、はてなブログさんから連絡が来たんです。ブログ開設2周年ですよ、と。

最初の1年は殆ど放置だったので、実質は1周年くらいのものなのですが。

読んでくださっている方は多く見積もっても6人くらいと認識していますが、時折コメントなどいただけるおかげで楽しく続けさせていただいています。どうもありがとうございます。

 

さて、この1年を振り返ってみますと、ブログを書いていたことに後押しされて、ゼロ・ウェイスト、本当に、すごく、頑張りました。コンポスト等うまく軌道に乗った取り組みもそれなりにあり、ZWという概念を知らなかったときと比べればかなりの前進をしていることは間違いありません。

ただ、パッケージレス及びプラスチックフリーについては、現状自分の時間を圧迫しないで達成することは不可能だと結論しました。

頑張ったんですけどねー。遠くのバルク売りのお店に通ってみたり、今まで買ってきていた加工食品・調味料を作ってみたりと。でも、体力がなくて遠出が辛かったり、元々そこまで料理好きでもないので作るのが苦痛だったり、割いた時間と労力のわりに得るものが少ないと思えることも多々あったわけです。

 

で、思った。ちょっと違うな、私がやりたいのはこの生活じゃないな、と。

私が真に欲するのは漫画を読む時間だというのに(笑)、それを圧迫してどうするのだ、と。

 

ベア・ジョンソンの講演でちょっとほっとしたのが、ご本人が「何でもかんでも自分で作ってるわけじゃない」と明確に言っていたことでした。どちらかというと、自分にとって不必要なものを徹底してそぎ落としていくことによってより多くの自由を手に入れることの方に重点が置かれているように感じました。ゼロ・ウェイストとは、その目的を極めて洗練かつ完成された形で達成するための有効で分かりやすいアプローチであって、それ自体を目的にしてしまうのはちょっと違うのかもしれない。

 

もちろん、エシカルな観点からゼロ・ウェイスト頑張らないと、というのは当然で、できるかぎりのことはしていくべきだと思います(先月受験したエコ検定に無事合格しましてエコ・ピープルにもなれたことですし)。ただ、自分を苛めるようなやり方をしていたら続かないな、というのが今のところの所感です。去年一年、大分自分を苛めました(笑)。

 

そのようなわけで、無理なく通える範囲に量り売りのお店ができるのを待ちつつ(だってほら、ベアジョンソンが講演に来たら必ずその街に量り売りのお店がオープンするって話だったし)、当面は他の取り組みで埋め合わせようと考えています。

 

正直、自分でコントロールできない部分で一喜一憂することに疲れました。買わなくてもいいものを買って罪悪感を持つというならば分かりますが、必要な食料を購入するのに、総合的に見てプラスチック袋に入っているものしか手に入らないというときに、そのプラスチックに罪悪感を持たされるのって、それ、人生の無駄遣い。

 

なので、純粋に自分次第でどうにかできることにだけ取り組みます。何かというと、今年はモノを買いません。

 

これをやりたいなと思い始めたきっかけは、去年、愛読しているブログで教えていただいたthe clean bin projectというドキュメンタリー映画を見たことです。

casse-pied.hatenablog.com

 

カナダのカップルが一年間ゼロ・ウェイストに取り組むのですが、そのときに設定した第一のルールが以下です。

 

1.No buying stuff. (We cannot buy any material goods.)

 

「モノを買わない」

しかも、新品・中古品に関わらず、です。

 

ゼロ・ウェイストだけでも結構難易度が高いのに、なんかこの人たちいきなりハードル上げてるんですけど!?と衝撃を受けました。でも事実、本気でゴミを減らしたいと言うのなら、安直な買い物を控えることの効果ははかなり大きいと思われます。何より根本的ですし。

 

私自身は、どちらかというと浪費するタイプの人間です。それもタチの悪いことに、贅沢したい、買い物大好き!ということではなくて、自分で言うのもなんですが、真面目な改善人間だからこその病(やまい)です。真面目ゆえ(言われるまで待ってなさい…)、「日々生活を向上させていかなければ」という気持ちが強すぎて、「これを手に入れさえすれば、生活が、合理的、機能的、知的、美的になるはずだ。これがどうしても必要だ。これを買わねばならない!」と思い込む傾向があります(これ、ベアの講演で佐々木さんも言ってましたね。「ミニマリストになったことで買い物をしてしまうビョーキを僕たちはどうしたらいいんでしょうね」って)。

 

しかし、実際のところ、モノを買っても一足飛びに生活の質は向上しませんでしたね、経験上。使いこなす時間が無かったり、管理に時間ばっかり取られたり。私の生活の問題点は、むしろ際限なく入れることにあるのではなかろうかと、最近ようやく悟りました。

 

以前ちらりと書きましたが、「全ての所有物をワンアクション以内で取り出せるようにするプロジェクト」も(未だに!)継続中なので、それとの絡みで既に持っているモノの数も減らしていきたい。

 

というわけで、今年の目標は、タイトルの通り、「モノを買わずに、一日一個持ち物を家から出していく」に決定です(続きます)。

生活は動かしませんが筋肉を動かします

一月も終わりかけている今更ですが、今年の目標について。

 

今年の目標は

  1. 暮らしに一切の変化をもたらさないこと
  2. 少し筋肉を増やすこと

です。

 

1.について

面白味のない人間と思われようと、昨日と変わらない今日を過ごすことが私にとっての喜びです。

喜びなんですが…他方で私、ものすごい改善人間なのです。実家を出て自分が住まいや生活の運営に采配を振るえるようになって以来、日々鵜の目鷹の目であそこをこう変えればもっと合理的になる、もっと楽になる、もっときれいになる…とあれやこれやを見直し続けてきた結果、確かにいろいろ楽にはなったし、室内の見栄えも昔よりは良くなりました。でも、なんだか一番欲していることができていないような。

 

わたしが真に欲しているのは…ソファと同化して、紅茶と甘いものを抱え込んで、誰にも何にも邪魔されず時間を忘れて本や漫画を読む時間です…!ただそれだけです。

 

なのに、あれやらなきゃ、これ今日中にこなさなきゃ…と、ここ数年うろちょろジタバタしすぎていたような気がするのです。

 

なので、今年はなるべく改善目線で暮らしを見つめないように、現状のシステム内で粛々と生活していくつもりです(家具の配置替え程度のことは思いついたらするかもしれませんが、なるべく思いついてしまわないようにする・笑)。具体的な行動としてはどういうことになるかというと、つまり、モノを買い入れない、ということです。これについては後日詳しく書きたいと思ってます。

 

2.について

以前少し書きましたが、うちの同居人は着るものについてかなりのミニマリストです。アウターはぺらっぺらのウインドブレーカー一枚のみ。真冬はヒートテックのインナーやフリースなどの中間着をうまくレイヤリングしているようですが、それにしてもかなりの薄着です。雪深い真冬の奥日光にも下半身はジーンズ1枚で旅行に行き、横で凍える私(持てる衣類のありったけを着こみ、全身登山用の暖かい下着を重ね、腰と足裏には貼るカイロ装着)が「寒くないの?」と尋ねるのに対し「いや、別に?」。

この差はおそらく筋肉の量と思われます。服の代わりに筋肉。いいじゃないか。

年齢的にもある程度筋肉をつけておいた方が後々困らないはずなので(最近高齢者の方と集うことが多いのだけれど、「膝が痛くて坂が上れないので今日は行けません」が立派な欠席理由としてまかり通るんだよ…)筋トレを復活させます(一人暮らしの時には毎日やっていたのですが、二人暮らしになってからは人に見られるのが嫌でサボりがちに。しかしもう格好つけている場合でもないのだ…)。

……これって1.と矛盾しますかね?しかし健康と安全に関わることなのでここは習慣にしておきたいと思います。

なるほど 雑談:ダンシャリが嫌いだという話の続き

先日、本来の意味での「断捨離」はともかくとして、巷で皆がやってる「ダンシャリ」ってどーなのよ、という話を書きました。その続きでどうということもない話なんですけど。 

noa-s.hatenablog.jp

 

 私、分かっちゃった!

ええとね、ネットなど見るに、意外に「断捨離」の定義が理解されてないっぽいですね。

 

「断」は「家に入ってくる要らないモノを断つ」の「断」なわけですが(つまりはゼロ・ウェイストのリフューズですわな)、人によっては「断行」とか「決断」とか「断固として」とかの「断」でイメージしてるみたい。

 

なので、「困難や反対を押し切り、強い態度で決然とモノの処分を敢行すること」というニュアンスで、ダンシャリダンシャリ言ってモノを捨てているようなんですわ。

 

その他に、「使っていないものを不要であると断じる」という意味で理解されている方も見かけました。

 

つまりそれって、モノの流入については意識的に止めようとしていないということで。これではなかなか「離(モノへの執着から離れる)」へは辿り着けないのではなかろーかと。

常々断捨離ブログなど拝見するに、何年経っても延々お方づけをしているお宅も少なくなく、「元々物が多いにしても、こんなに何年も片付けないといけないなんて一体何故?」と不思議に思っていたのですが、たぶんそういうことなんだろうと得心がいきました。

なので「断捨離」にはちょっと気の毒だなと思います。

 

個人的には、断捨離ってきっと皆が言ってる「ダンシャリ」よりももっと高邁な哲学とか深い意味とかあるんだよね、と期待して本を読んでみたのですが、説明が「ヨガの断行・捨行・離行の頭文字を取りました、以上。」なので、何でヨガなのよー、体裁が巧く整う字面に適当にこじつけてるんじゃないのー?などと、考え方としては本当に悪くないのに、何か胡散臭さを感じてしまいます。これでなくてはならない、という座りの良さがイマイチ感じられないもので。

あとは「行動(断・捨)」と「状態(離)」が同レベルの並列に置かれているのが気持ち悪いです。……「断捨→離」表記なら受け入れられたかも(笑)。これで商標登録しようかしら、なんちゃって。