二の足踏み中
2017年7月7日
今月はPlastic Free Julyがあるので、
以前今年の抱負として言及したPlastic Challengeをやってみようかと思っていたのです。
でも、やめました。
現状、思いつく限りのことは既にやってしまっているので、リサイクルボックスの中にあるプラスチックのパッケージを並べてみてもオルタナティブが全く思いつかない。
ええと、チーズのパッケージね、これはやめられないので現状維持。
乾麺の袋ね、これもどうしようもないので現状維持。
小麦粉の袋かー、昔は紙だったのにねぇ…。はい、現状維持。
みたいなことに終始し、つまらないことこの上なく。。。
うちのごみの責任区分は、Beth Terry方式です。
Plastic-Free: How I Kicked the Plastic Habit and How You Can Too
- 作者: Beth Terry,Jack Johnson
- 出版社/メーカー: Skyhorse Publishing
- 発売日: 2015/04/21
- メディア: ペーパーバック
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すなわち、例えば同居人が何かを買って付随するプラスチックのパッケージごみが出たならばそれは同居人のごみであって私には関係ありません。
他方、同居人が勝手に持ち込んだとしても、私がその恩恵を少しでも受けたならばそれは私のごみとしてカウントすることになります。
例えば、私自身は特に必要と思っておらず自分では手を出さないような食材であっても、同居人がそれを料理の材料として使い、私がそれを食べたらならば、私はそのパッケージごみを出したことになるというわけです。
私の都合で同居人の食生活及び食事作りに制限を課すべきではないと思いますし、私だけその特定の食材を食べずに済ますという手はあるにしても、作って出してくれたものを拒否するのも心苦しい。
Plastic freeは本当に難しいです。
そんなわけで、Plastic Free Julyへの登録も二の足を踏んでいるのですが、うーん、一週間くらいの期間だけだったら協力してもらえるかなぁ。…ちょっと交渉してみようと思います。
種を蒔く(だけの)人 / アブラムシの話
2017年7月6日
種を蒔くだけ蒔いて、その後の面倒を見ない人。それは私です。
会社のおじさんが、「女房がやたらと鉢植えを買ってくるんだけど、買うだけ買ってほったらかしだから結局水やりは俺がやることになる」とこぼしていました。
はい、うちもです。ごめんなさい。
というわけで、同居人がプランターの水やりをしてくれているのは知っていたのですが、まさか肥料まで施していたとは…。
「ミニトマトを収穫した後にね、液肥を入れるとまだ取ってない実がまた大きくなるんだよねぇ、ぐふふふふ」
ぐふふじゃありませんよ。うちの畑は無肥料・無農薬の自然栽培だと信じていたのに!
ま、化学肥料じゃないし、正確には肥料というより土壌改良剤だからいいけど。
ところで、「アブラムシは植物のお医者さん」という考え方があります。プランター菜園をやっている方のブログなどでたまにそういった記述を見かけるのですが、今まで「ご冗談を」と思っていました。毎シーズン楽しみにしている野菜を全滅させられ、私にとってのアブラムシは経済害虫以外の何者でもなかったのです。
が、今年、同居人の見立てによると、アブラムシが取り付いて全滅した後のニラとネギが「適正化した」とのこと。ニラは、吸い尽くされて枯れた後、新たに出てきた葉が大きくみずみずしくなっている、ネギ(元は万能ネギ)は固く大きくなりすぎていたところ、元の大きさに戻りつつある、と。
まだ自分の目で確認していないのですが(朝は暗いうちから出かけ、暗くなってから帰宅するような生活パターンなので、平日はプランターの様子を見る余裕がありません・涙)、本当だったら嬉しいことです。
あまり期待はしていないのですが…気休めに
2017年7月5日
郵便ポスト・新聞受けへの投げ込みチラシ投入対策として、今月1日からお断りシールを貼っています。
学生の頃にポスティングのアルバイトをしたときの実感からすると、いちいちそのようなものは確認しませんし、何よりさっさと手元の荷物を捌いて帰りたいという気持ちの方が強いですから、正直なところ大して効果があるとも思えないのですが…。
4月から3ヶ月間、投げ込みチラシの数を記録してきました。平均週12枚。
向こう3ヶ月、引き続き記録を取っていく予定です。減ったら役に立つ技としてご報告しますが、うーん、どうだろう。
この投稿を書くにあたって、投げ込みチラシ対策について検索してみたところ、もっと効果のありそうなシールを発見しました(→)。様子を見て、試してみるかもしれないです。
塞翁が馬、なのか / 明確な指針がほしいのよ
2017年7月4日
家庭のゼロ・ウェイストを目指し始めて以来、物が簡単に買えなくなりました。
そこで何が起きたか。
お金が余ってしょうがない。
というのはちょっと大げさなんですが。
春に同居人が休業災害をやらかしてここ数ヶ月私の収入のみで暮らしているのですが、それでも生活全般に余裕があります。これは単純に良いことだと思っています。
ただ、お金に余裕がありすぎて外食が増えました。
そして、その結果プラスチックごみが減りました。これをどう評価すべきなのか考え込んでしまっています。
ナチュラル志向という価値観の下では、外食はあまり良いイメージと結びつかないのではないかと思うのですが、家庭のごみ削減には大いに貢献、プラスマイナスゼロ、みたいな。
少しずれますが似たようなことで、良かれと思ってする何かが、総合的な視点が欠落していたことによって、却って逆効果だったりすることもあるらしく。
私はついついマテリアル・リサイクルにこだわってしまうけれど、無理に素材をそのまま循環させようとするよりも、サーマル・リサイクル(燃やして、その熱を有効利用する)の方が環境負荷が少ない場合がある、とか。
輸送にかかるエネルギーの観点からはガラスボトルよりプラスチックボトルの方が良い、とか。
我が家の内部においても考え方の対立があります。
私はガーゼティッシュを使っているけれど、洗うほうが環境負荷になると判断している同居人は使い捨て紙ティッシュ派。
私は(他のゼロ・ウェイスターさんの真似をして)お米を持参の袋で買いたいけれど、同居人は、とぎ汁が水質汚染の原因になるからパッケージごみが出るにしても無洗米を買いたいと言う。
専門的な知識があるわけでもない私としては、考慮しないといけないファクターが多すぎて、右往左往するばかりです。一般市民向けのライフ・サイクル・アセスメントの分かりやすいガイドラインとか自治体が出してくれるといいんですけどね…。
わたしのadvantage
2017年7月3日
改めて考えてみると、Zero Wasteを目指すにあたって私にはかなりのアドバンテージがありました。
・若くない(自分に合うものが既にある程度明確になっている/生活に必要なものはほぼ揃っている⇒新たな買い物や試行錯誤が少なくて済む)
・子供がいない
・ペットがいない
・ソーシャルライフがない(これは褒められたことではないですが)
・物を買ってもらえない子供時代⇒DIY精神が妙に発達
・耐乏Press Japanに相当影響を受けていた20代(特にこの記事「本当に捨てるために」)
・魚柄仁之介さんの影響を受けて生活リストラに励んだ30代
・もともとの性格(こだわりの無い分野について、同じ用途のものを複数持つのが嫌い)
・Eco consciousな同居人
などなど。
既に持ち物は少なく、静かな(寂しい?)生活ゆえに意図せず家に入ってくるものも少なく、手作りのスキルはそこそこあり、「環境のため」と言えば彼氏は言うことを聞いてくれるという。
おかげで、当座できそうなことはほぼ試し尽くし、私個人については、日常のルーティンの中では、リサイクルは出てしまうものの、可燃ごみの袋に入れるのは歯列矯正に使う輪ゴムだけになりました(この輪ゴム、Single-use ONLYとパッケージ上で釘をさされています)。
そんなわけで、まだまだ生活の中で工夫の余地はあるはずですが、実感としては今踊り場に居ます。
数ヶ月前、ある方から、私が書いていることに対して「ひとつひとつの小さな取り組み」という表現での感想をいただきました。「私自身にとっては全然小さくないんですが…」とちょっとしゅんとしたものですが、今のペースで書き続けていると、自分でも瑣末だなーと思うような話ばかりになりそうです。せっかく読んでいただくのにそうなってしまっては残念なので、今後少し更新の頻度は低くなるかと思います。